処世備忘録
先日の徒然コラムと合わせて連ねていて、今のゼロ域の立場で語るのはまだ早い、もっと人に受け入れられている状況でもないと説得力などない、とざくりと現実の自分を切り離してお知らせ部分のみ投稿しておりましたが、やはり今その瞬間に蓄積していた感慨を書き留めておきたいと思えたので、追記を。
既に過去に克服している要点のまとめですので、インタビューを読んでくださった方、首藤という人は引き込んでいる間何を考えていたんだろう?、自分も生きづらいと感じていることがある、物書きとして悩むことがあるけど、同じようなケースを共有できる人がいないなど、興味のある方はさらりと気軽にお読み流しいただければ幸いです。
●自分なりのプロモーション
インタビューでもお答えさせていただいていましたが、SNSやオンライン活動、お知らせ用と言えども、個人的には不特定多数の場に身を置いているのはやはり未だに苦手です。
過去に、何故相手方々がこちらに執着をされて、わざわざ手にかけたい攻撃的な心理状況に置かれているのか、私の非なども合わせて分析して納得しながらも、SNSのシステムが嫌いになってしまった経緯というのがあります。
当時は軟弱で若かったためにささいなバッシングにさえ精神的に参っていましたが、特に影響力のない、マイナーな描き手の私に対して執拗になられているほうが逆にお時間を無駄にさせてしまうので、時を経た今では哀れでなりませんでした。
そういった排他的にされる経験を幼少時から何度も経て、自分の言動はもしかしたらやはり人と違っていて大きな非があり、お相手方への迷惑にもなり、誰にも受け入れられないで無為に傷つくだけならと、名前を変えてひっそり谷底で活動をするように。
何故一部の他人はわざわざそんなことをしてくるのか?という疑問と同時に、自分のどこをどうやって直していけば「普通」になれるのか?
ずっと自分だけがおかしいのだと疑って考えてきました。
ただ、その中でとても救いだったのは、数年後に非をしっかりと見つめ直した相手方から、謝罪を申し出ていただけたことでした。
相手方が自ら経験を積んで、成長をして変わられていたことのほうが嬉しく、私はただ自分らしく本音で接していただけなのだと、間違ってはいなかったことも同時に教えられました。
サイト自体も不特定多数の環境の内ではありますが、巣篭もりの巣のイメージがあって、自分が求めるものを選んであえて見に行くもの、というドアの据えられたホーム感があります。
まだこちらのほうが、いらっしゃった方へ大らかな気持ちでウエルカムできる余裕を持てるというのも不思議ですね。
トイレに引きこもると落ち着く、という気持ちに似ているかもしれません笑。
数値の可視化がなく、訪問者との応酬も少ない点というのも、その柔らさを感じる点なのかもしれません。
芸能人や作家、元々求心力のある方や苦労せず気軽にセルフマネージングが出来る方にとってはSNSなどは有効なツールではあると思っています。
えてして人があまり見向きしない隙間を好みやすい私は上手く有効活用できないし、自身でもろくに見ないため、必要ないからやめようと何度もぼやいたりしていましたが、知人にお知らせ用だけでもと止められたりしつつ何とか維持しております笑。
こういった突発的なツールでは、無料で気軽に見られるラフやシチュエーションを込めたラクガキなどの満たしてもらえる提供をお求めの方が多くいらっしゃるのだろうとは思いますが、面白い有益な発信は私からはできないな…とずっと気楽に描けないことがネックに感じていたので、その点は申し訳ないです。
身内にも同じ悩みを持つ作家さんがいらっしゃるので、このような方は他にもたくさんおられるのではないでしょうか?
●自分の本音を自覚するということ
絵を描く時に、有用性と合わせてこれ好きだな、という喜びを感じるのが、「刹那的な人の感情が顔に出る瞬間や間を切り取る」というマニアックなものなので、全体図として総合しておしゃれで綺麗な完成度の高い絵を描くことに興味がないのが、私がとても物書きとして残念な理由です笑。
こうすれば、ウケる。このカラーリングや彩色、デザイン、シチュエーションであればもっと人に喜ばれる。
もちろん承知しております。
どんなものに多くの人は価値を見出すのか、思い悩んでいた時期にはたくさん研究もさせていただきました。
やれば出来る、だが、色塗りも背景もあまり興味がなく、時間をかけるものが実は好きではない―。
自分が本当に納得を得られる機会以外で人の価値観に合わせて我慢をするのはもうこりごり…というぐらい、自問自答していた人との違和に苦しんだ時間が長いので、物質として形にしたい欲望を感じる時だけじわじわと筆を取っていたいと思っています。
何も複雑なことは考えずにさらっと思いついた「みんなに好まれる受け入れられるもの」をこなせる側の書き手であるのが正しい描き手の道義、受け入れられることだと誤認していて、世間の望む好みに合わせてみた時期もありますが、土台直感的に生きていて、違和感を覚えたら自分を歪められない私には無理でした。
私は描く対象に欲望を明確に感じて、インスピレーションが降りたその短い瞬間にしか描き留めることは出来ません。
私だけの正解がわからずにいた愚かだった経験を笑い話に出来る今だからこそ、客観で共有できることが見てくれた方への、あるいは何より似たような体験に右往左往揺れている方へも、有益な提供になっていれば嬉しいです。
●生きづらさの細分化
何をどんな風に伝えても、軽いノリでさらりとこなして好意的に受け入れられる人がいる反面、何を真面目にやっても、求められるものに合わせてそこそこ以上のレベルまで引き上げてみたつもりでも、コミュニティと自信が不足しているためか何故か上司や人に目をつけられて注意をされたり指を差されたりやっかみを受けやすい側の社員がいる。
企業に属する者などに例えるなら、私は後者の不器用器用貧乏タイプです。
ニュートラルに佇んでいるだけなのに、沈黙を苦手とするのか無理にお話を合わされて気を張られたり、取り入ろうとされたり、悪い吹聴で騙してみようとしたり。
同じところにいて欲しいと足許へこちらを引き寄せていていたい願望など、無意識に何故ご自分がそうしてしまうのかを気づかないままに、為されている方は多いと感じています。
いや、わりとこちらも普通に適当なところもあるんだけどな…というフランクさもあるのに、その不意の自由奔放さを危うく見られる。
それでいて相手には読みづらいらしいこだわりや寡黙な職人気質も合わせ持っていて、気分のままに任せていると、情緒不安定だと受け止められる。
そういった、何故か自分は自然に「普通」にしているだけであるのに誤解されやすい人種は声を上げられないだけでたくさん隠れているのでは…と思っています。
扱いづらいと、疾患や欠陥というフィルターを通されている。
何を考えているのかわからないと言われる。
ただ自分とは違う人たちを静かに眺めているしかなかったから、求められている相手が喜ぶ対応を上手く返せないから黙っていた。
好きなものを主張する機会があっても、理解しにくいと曖昧なお顔をされるので、お相手の調子や好きなものに合わせて微笑むことしか出来なかった。
だから共有をする必要を、大分昔に感じなくなった。
建前での応酬に私は価値を見出せないことが多く、同意する違和感を感じて口を紡ぎ続けるしかなかった。
しかし、自分ではこれ以上なくあけっぴろげで素直で柔軟だとも思うし、理解されづらいにしろこだわりなどもしっかりと持っている。
世の中の常識的な理ももちろんよくわかっている。
しかし、どんなに外皮を着ぐるみ合わせてもそのルーチンに違和感を感じ、柔軟に、従順になりきれない。
それはお前が人と比べて出来ていないからだろうと、時にはご自分を棚上げをしたお相手にも批難され、何故か舐められやすい変わり種宇宙人のような方。
どなたに対してもわかりやすく表記すると、本当に宇宙人なのだと思います笑。
柔軟になりきれないというのは、「自分なりに」きちんと対応出来てはいる際でも異物だと恐れられていたから、それを許さないご時世と環境が連綿とあるため、複雑な交ざり物になるしかなかった、という精一杯の処世です。
元々誰よりもシンプルで、誰を疑うことなくあっさりしているだけなのに、騙されまい持ってかれまいという人間の危機意識の側面から無意識に悪どく張り詰める必要があり、他人も自分も騙し舐めし器用に生きられる方のほうが多いために、本質をこちらも隠して抑え込んでいるとこちら側だけが何故か理不尽に誤解を受けてしまう。
シンプルで純粋でいることへの許容のレートは低く、世情は何故か公然と納得させたい理屈を引き出したがり、理屈のいらない隙を掻きむしって複雑に引き回そうとする。
それは真相を暴きに来ているのではなく、ご自分方に無秩序で幸福感がないという隙を埋めているだけ、だと思っています。
ニンゲンもそんなに難儀な生き物ではないはずなのに、多数の噛み合わない価値観が多いため、不協和音が起こりがちなのだと感じます。
そんな複雑な傷つきやすい前者の方たちから傷つきやすい後者の自分を守るために、求められる気質の型にはめこむ必要があり、しかしハマりきれなくて一時は無理に鋳型に合わせてみる。
だが違和感を覚えて、呑み込みたくない小骨を延々と喉に抱える。
これまで趣味や嗜好などは同じでも、自分と似たような気質の方には、ほぼお会いしたことがありません。
だからこそ、やっぱり自分はおかしいのだな、私のほうがたくさんみんなに合わせて直す課題がまだまだあるんだ、という自分を疑い続け、勉強や分析と研究も重ねながら、違和感を麻痺させていくという不健全なルーチンに舐めされていく。
本質が似たような方がいるなら会いたい、そういう純粋な方たちと楽しいことをしてみたいというのも活動再開の内の一つの目標としています。
ここ一年で出会った方は、ようやくツーカーで話の通じる人がいたぞ泣、という感慨のもと、私らしく自然に楽しく応酬をさせていただいていて、嫌われる覚悟を持って踏み出してよかったと思っています。
ネットで同じ経験をされているような方のブログ記事などを検索してみますと、やっぱり同じような方は確実にいらっしゃるんだ、とその理不尽さを語る声と共感を覚えている方々の気配を感じているからこそ、腰を上げられたのもあります。
前述の何を伝えても~のくだりのタイプについては、自分に素直であるかないか、の差分というだけのように見えますが、どちらも自分の声には素直でかつセンシュアルであることに変わりはなく、真理を察しすぎていて敏感になりやすいか否かだけだと思っています。
思い込みすぎ、考えすぎ、情緒不安定だとおっしゃられる方もよくおりましたが、お相手方があまり自分の内心との不和に悩まれることはない前者のタイプゆえに、より自分自身の間違っているのか?という異端さを感じるケースも多かったです。
深く内心に自ら切り込んでいくのはよりよく向上するため、というシステムですが、私の場合幼少時から、その場の複数の人の心の変遷やそれが動いて交じる先で人はどう変わるという結果が勝手に読み取れるタイプだったので、余計に同上、調子を合わせなければ弾かれる、という無知だった幼さからの本能ゆえの強迫観念はあったのだと思います。
それでも、誠に残念ながら頭がおかしいためか、みんなが安心して喜ぶ対応というのは大人になってもよくわからず、結局何も気の利いた言動を器用に言い出せないゆえに不審を覚えられたり、虐められる毎回のパターンは味わってきておりました。
大抵の方は、同じように変則的な悩みや本質をお持ちではありつつも、不和を抑えて同調をすることにそこまで荷重を感じられないためか、自分の黒い深層は上手くフィルタリングされています。
人に迷惑をかけず、しっかり稼がれて理性的に立派に生きられている素晴らしい反面、深層では確固たる自信が持てないために他人にフォーカスされていて、ご自身のことが何より見えていない、成長しようとあえて考えようとしない人も多いなとよく感じます。
もちろん若い頃などは未成熟で至らない点はあるのは当然なのですが、子供か大人かの年輪云々ではなく、元々生まれ持っている個性次第な部分も強い気もしていたり。
もっと大人の方にこそ、整って恵まれている環境にあるからこそ気づけていない、この特性が多い傾向が見られます。
それは良悪とは割り切れない、経験に裏打ちされてくる部分のサガです。
生きづらさ、という面では両者タイプそれぞれが抱えている色の違うだけの問題であり、
恐れを使役できているかいないか。
自分の本質に素直に従っているかいないか。
知らず真相や経緯が透けて視えてしまうか見えないか。
それをどう受け取れるか。
それだけの真意だと思っています。
(視えるというのはこの場合、超次元的なものではなく、原初的な人間の勘、という意味合いです。主に直感ですぐに動いて自分にとって正当な応えを得られてきたタイプ、と言えます。オカルトホラージャンルは大好きなのですが、俯瞰で愉しむタイプのため、危うい信仰ごとや洗脳云々に紐付けた見解ではございませんのでご安心を笑。それでも、いつもツイてる、やたら人より元気で健康!、困った時に必ず何かや誰かに助けられてきた気がするという方などは、多少なりとも超次元的なご縁も作用してそうだな、とは思っています。私もこちらのタイプです)。
緩和休題、とは言いきれませんが、最近ずっと作業がてら、Xファイルをシリーズを通してずっと懐かしみながら見ています。
Truth is out thereというOP末尾に書かれる文が体現しているように、ただ純粋に確実に真実はこうであるのに、何故意味のわからない歪みや制裁を加えられてしまうのか?と、視えている真理に従って包み隠そうとする悪徳は糾弾したいと思う。
人に気の間違いだと諭されるような幻覚などではなく、ただ本当のことが見通せているだけなのに、だからこそ認めたくない者に理不尽に迫害されてしまうというモルダータイプが先のお話での前述の後者。
そんな彼を疲れているのよ、と諭すスカリータイプが前者とまでは言えませんが、器用に臨機応変に生きられる、疑問を持たずにいられる割り切れる方です。
両者の特性とその狭間にいる三者の混じり合えなさや未知のものとのそこはかとない恐怖を埋めていく探究心をフォーカスした、とてもわかりやすい縮図のドラマで、子供の頃に見ていたドラマへの観点がやはり今では違っていて、二人の人物観を鑑みたホラーサスペンスならではのシリアスな中でのシュールな笑いも拾えて、とてもシンプルで面白いです。
モルダーは過去の強いトラウマ、男性脳特有のプライドから素直に自分の窮乏を認められない状況も多々あるために、うまく冷静な自分を取り繕えない部分もありますが、不遇の天才気質ヒロインです笑。
いつも半眼のスカリーに一呼吸置いたあとに大丈夫なの?といなされている間が面白くて、どんどんその電話応酬ネタでやってますよね、と微笑みを誘ってきます。
どちらも各人に合った処世術なので、それぞれ棲み分けて折り合いをつけながら、個人が誰とどうやってどうしていきたいかを明確に、シンプルに選ぶ単純な目を養わなければいけない時代だと思っています。
直感と本能に従い、好き勝手だと豪語はしていても、バランスを取る精神力を。
ニンゲンという哺乳類に高く複雑な知性が備わっているのは、その舵取りを得て、各人を豊かにするために共有する伝播力を磨くためだと思っています。
それぞれに、それぞれが伝えられる別個の独立した経験が何通りもあるということです。
何が好きで何を成してから死にたいか。
自分が共有できる唯一無二はどんなもので、どこでどんな風に分散できれば互いに満足に繋がるか。
根本的に抱いておく部分はこれだけで、実際の行動力と理想への改善に繋がるという共有を、今回のコラムの締めとさせていただきます。
書いてることが難しくてようわからない、とよく言われますが、各人で統制しきれていない複数の価値観が寄り合うと起きてしまう事象が複雑なんだな…ということを書き留めているだけであって、実際は複雑な面倒ごとが大嫌いなので本人の価値観は至って誰より単純でシンプルです。
怖くないよーと市販のよくある手軽なアメちゃんを振って見せて自然にしているつもりでも、見透かされそうだから、と怖がられがちなのですが、怖くないただの変態なオタクです笑。
とりとめもなく頭に思い浮かぶかさねがさねを書くため、文章を書くのは好きでも要点を短く据えるのは苦手だなと毎回感じています。
読みづらい部分が多々あっただろうと思われますが、貴重なお時間をいただきありがとうございました!
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